熊谷出身の武将・熊谷次郎直実を主題にして彫刻家の北村西望が制作し、昭和49年(1974年)に完成した刻像。 挙扇する直実像は勇壮で、熊谷駅北口のシンボルとして著名です。
住所 熊谷駅北口ロータリー
平安時代の『延喜式神名帳』に記される「式内社」の古社と伝われています。 江戸時代には忍藩主の保護を受け、熊谷宿の総鎮守と称えられました。 四季の祭礼行事を通じて多くの信仰を集めています。
住所 熊谷市宮町2-93
平安時代末期、熊谷次郎直実によって創建されたとも伝えられる古社。直実の父、直貞が熊を退治した伝説と関連し、血形神社から名称が転じたとされています。後に奉納相撲も盛んになりました。陣屋跡は江戸時代に熊谷宿が属した忍藩の陣屋跡地で、郡代などが街道宿場の事務を行いました。後に熊谷町役場が建設されました。北側にある明石家長屋門は、弘中の記憶を偲ばせています。
住所 熊谷市本町1-18、宮町1-164
小説『坊っちゃん』
小説家・夏目漱石による中編小説で、明治39年(1906年)『ホトトギス』にて発表されました。 漱石の松山中学在任当時の体験を背景とした初期の代表作です。情熱的で「坊っちゃん」 とあだ名のついた数学教師の青年が主人公。その彼が偽善的な社会に立ち向かう生き方を、ユーモアに富む筆致で、歯切れよく描いています
。
弘中又一(1873-1938)
夏目漱石の小説『坊っちゃん』の主人公のモデルとされる弘中は、漱石との出会いの場でもある愛媛県の松山中学校を経て、その後、熊谷に赴任しました。明治33年から大正8年(1900-1919年)まで熊谷中学校 (現・熊谷高校)の数学教師として教鞭を執り、熊谷の地で約19年間を過ごしています。 熊谷中学在職中の弘中が、約10年間家族と共に生活していた住居跡地。現在、家屋は解体されていますが、当時を懐かしむ説明板が設置され、「坊っちゃん」先生の生涯を今に伝えています。
埼玉県立熊谷高等学校(旧埼玉県立熊谷中学校) 明治28年(1895年)埼玉県第二尋常中学校として創始されました。「質実剛健」「文武両道」「自由と自治」を校訓とする伝統男子校で、著名人を多く輩出しており、弘中など名教師の伝説も数多くあります。
住所 熊谷市宮町1-166付近
大正8年(1919年)に日本聖公会教会として建設されたレンガ造りの礼拝堂。聖壇や屋内天井のハンマービーム構造などが近代建築の粋と温かみを醸し出しています。熊谷を代表するモダン建築です。
住所 熊谷市宮町1-139
熊谷次郎直実が出家し蓮生法師として草庵を設けた地に開基された浄土宗寺院。直実・蓮生の墓地を有するほか、総欅入母屋造りの大伽藍は荘厳です。「熊谷」の音読みが寺院名となりました。(通常非公開)
熊谷次郎直実の守護神(弥三左衛門稲荷)として、元久2年(1205 年)熊谷次郎直実の邸内に創建されたと伝わります。江戸時代の絵師・歌川豊国の錦絵「子育奴稲荷」に描かれ、広く知られました。
住所 熊谷市仲町43
明治30年(1897年)初代・八木橋本次郎が熊谷市仲町に創業した八木橋呉服店を発祥とする百貨店。
店舗の1階には、かつての中山道の位置に通路が設置され、その面影を今日に残しています。
大正5年(1916年)、宮沢賢治が秩父に向かう途中、熊谷に宿泊した際に詠んだ、「熊谷の蓮生坊がたてし碑の旅はるばると泪あふれぬ」「武蔵の国熊谷宿に蠍座の淡々ひかりぬ九月の二日」の2つの歌が旧中山道沿いの石碑に刻まれています。
住所 熊谷市仲町74
中山道熊谷宿の竹井本陣の跡地。江戸時代後期、宿場代官所を担った 2つの本陣の1つであり、国内有数の規模を誇ったと言われています。竹井家が本陣当主を務め、宿場町の中心地を形成しました。
住所 熊谷市本町1丁目
明治時代初頭に竹井本陣の別邸として竹井澹如が建立しました。昭憲皇太后や秩父宮の行幸、渋沢栄一、大隈重信、陸奥宗光など多くの知名士が来訪しました。玉の池を囲む庭園美や数寄屋建物が特徴です。
住所 熊谷市鎌倉町32
旧熊谷桜堤に位置する真言宗寺院。旧堤は戦国時代に北条氏が荒川沿いに整備した熊谷堤が原型で、江戸時代以降、桜の名所として名を馳せました。戦後、新堤が造られ、旧堤は石上寺と万平公園に残っています。
住所 熊谷市鎌倉町36
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